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個人的な事情が他罰的な怒りを生んでいるのかもという話

人に対して不満や怒りを感じてしまうことが少なからずある。感じるだけでなくその怒りを他罰的に言葉や態度に出してしまうこともある。どうしてできないのか、どうしてやらないのか、どうして分からないのか。考えれば考えるほど、こちらがわからなくなる。

人それぞれ考えも行動も違う "オンリーワン" だから、と自分を納得させても結局納得できていない。しばらくするとそんな感情を持っている自分が嫌になってくる。

自分が嫌になってくるということは、自分のどこかに後ろめたい部分があって、その良心に苛まれているということではないだろうか。「正しい怒り」というものが存在するのかわからないけれど、もし正しいものなら正々堂々と怒ればいいんだ。自分を嫌いになる必要なんてない。でも僕が感じる不満や怒りの多くは、最後は自分を嫌いにさせるものが多い。

ならば、僕の怒りは正しくないんだ。

僕の良心が苛む、後ろめたい事情はなんだろうか。それは僕の個人的な事情や悲しみなんじゃないだろうか。僕自身が苦しんでいるのに、どうして君たちはそうやっていられるんだ、と八つ当たりしているのかもしれない。どうして僕をわかってくれないんだ、と甘ったれているのかもしれない。こんなに僕は悲しいんだ、とアピールしているやっかいなコドモになってしまっているのかもしれない。

きっとそうだ。

僕の事情は、人にとっては関係のないこと。僕の悲しみはやっぱり僕だけのものだ。他罰的な態度をとって人を心から動かせた例を、僕は知らない。でも他罰的な行動は、やがて自罰となって返ってくると知った。個人的な事情を、なんとか正当化して人に押しつけるような小さな人間にはなりたくない。この推測があたっているかは別として、ここに気づいてよかったと思う。もしいまの気持ちを忘れてしまった時のために、ここに書いておく。

10年間埋もれていた経営理念を成仏させようと思う

創業社長が退任することになり、ひょんなことから僕にお鉢が回ってきて、全力チャリンカー歴2年目の年、僕は生まれて初めて経営理念というものを作った。さっきGmailを整理してたら白骨化した状態で突如として地表に現れた。

送信日は2007年4月1日。その理念は日々を死なずに乗り切るだけの経営のなかでいつしか埋もれてしまっていたのだ。

10年の歳月を超えて現れたリビングデッド。きっと何かの意味があって出てきたんだ。きっと何かを伝えに出てきたんだ。世界中に晒して、ネットの海に散骨して成仏させてあげないと。

我々は「勇気、根気、スピード」を信条とし、お客様に信頼されるサービスを提供し、永続的な成長をもって社会に貢献します。

若干、韻を踏んでいるあたりが若さを漂わせる、とっても素敵な経営理念だったのだ。いっぽうで、そんな先代理念を顧みず、去年、経営理念(事業意義)を立てた。簡潔に内容を言うと、

雇用を生み、人を育て、納税する。

10年前のと比べて気がついた。ストレートな情熱や甘酸っぱさは無いけれど、同じ気持ち、僕は少しも変わっていなかったんだ。誰かの役にたちたい、誰かの喜びや安心につながる仕事がしたい。それは同じだった。10年分の垢が付いてしまったせいで、キャッチーな言葉は気恥ずかしいけど、同じ思いだった。ただ、今の僕にしっくりくる表現が「雇用・教育・納税」なんだ。

最近僕は方法論にとらわれて、本当にありたい姿を見失いかけていたのかもしれない。それを10年前の僕が、今の僕に伝えにきてくれた気がする。Gmail、グーグル先生ありがとう!