読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

個人的な事情が他罰的な怒りを生んでいるのかもという話

人に対して不満や怒りを感じてしまうことが少なからずある。感じるだけでなくその怒りを他罰的に言葉や態度に出してしまうこともある。どうしてできないのか、どうしてやらないのか、どうして分からないのか。考えれば考えるほど、こちらがわからなくなる。

人それぞれ考えも行動も違う "オンリーワン" だから、と自分を納得させても結局納得できていない。しばらくするとそんな感情を持っている自分が嫌になってくる。

自分が嫌になってくるということは、自分のどこかに後ろめたい部分があって、その良心に苛まれているということではないだろうか。「正しい怒り」というものが存在するのかわからないけれど、もし正しいものなら正々堂々と怒ればいいんだ。自分を嫌いになる必要なんてない。でも僕が感じる不満や怒りの多くは、最後は自分を嫌いにさせるものが多い。

ならば、僕の怒りは正しくないんだ。

僕の良心が苛む、後ろめたい事情はなんだろうか。それは僕の個人的な事情や悲しみなんじゃないだろうか。僕自身が苦しんでいるのに、どうして君たちはそうやっていられるんだ、と八つ当たりしているのかもしれない。どうして僕をわかってくれないんだ、と甘ったれているのかもしれない。こんなに僕は悲しいんだ、とアピールしているやっかいなコドモになってしまっているのかもしれない。

きっとそうだ。

僕の事情は、人にとっては関係のないこと。僕の悲しみはやっぱり僕だけのものだ。他罰的な態度をとって人を心から動かせた例を、僕は知らない。でも他罰的な行動は、やがて自罰となって返ってくると知った。個人的な事情を、なんとか正当化して人に押しつけるような小さな人間にはなりたくない。この推測があたっているかは別として、ここに気づいてよかったと思う。もしいまの気持ちを忘れてしまった時のために、ここに書いておく。