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モノゴトを成すに必要な時間

僕は長い目で考えるタイプだ。そんなに簡単に(短期間に)願いが叶うと思わないし、紆余曲折、浮いたり沈んだり、泣いたり笑ったり、それでもあきらめずに向かい続けるからこそ何かが成せるものだと思ってる。それで成せたら運がいい、とさえ思ってる。僕は世の中を甘く見れてないし、自分をそんなにデキる子だとも思ってない。

一生を賭けて、というのは極端にしてもそれなりの大きな、それなりに素敵な未来や環境を作るには、少なくとも5年、並みの能力、並の生まれなら10年くらいはかかるんじゃないだろうか。

スピード社会でもあるし、短期間で億万長者が生まれたりもする社会なのもわかってる。それでもそれが自分に当てはまるとは思えない。半年や1年であきらめてしまったり、見切ってしまうのは、本当にもったいないと感じてしまうのだ。

限られた人生を無駄にしたくないという考えも理解できる。でもそれは「無駄である」ことがハッキリわかる場合で、未来が見える神様でない限りは、そうそうないはずだ。本人が「無駄である」と思ってるだけで、それこそ神様から見たら「もうひとつ角を曲がれば、もう100段登ったら、展望がひらけるのに・・・」と思って残念がっているのではないだろうか。

あきらめることを唯一の選択肢だと確信してしまって、せっかく登りはじめた階段を捨てて、また別の階段をいちから登るのは本当に正しいのだろうか。選び直したその階段でさえ、またあきらめたくなることにならないだろうか。

 

石の上にも三年

雨垂れ石を穿つ

 こんな言葉は今時流行らないとしても、物事の真理は変わらないのではないか。それぞれの価値観、というキラーワードで全てを片付けてしまう世の中、それがそれぞれの心に「正しいもの」として植え付けられていることになにか恐怖さえ感じる。

僕は ”何かを成し遂げた人” の話や経験を読み聞きするたびに思うことがある。

「よくもまあ、そこであきらめなかったものだ」「普通、その状況なら他の道を選ぶのに・・・」

大多数の人がレーンチェンジャーな世の中だからこそ、耐え忍びながらゆく人がやがて果実を味わうのでは、と思うところがある。

 

人の行く裏に道あり花の山

 ちょっと違うかな。

 

僕はこの道、この階段が本当に正しいのか分からない。予知能力もない。だからこそ僕はもうすこし、あとすこし、階段を登ることしかできないのだ。